【代表者インタビュー】〜八嶋昴旺輝〜Vol.3-1

2021年05月13日

こんにちは。リオペードラグループ株式会社でインターンシップをさせていただいている河地一樹です。

スタッフにインタビューをし、魅力を発信したいという想いから記事を書かせていただきました。

 

 第3回目となる今回は、リオペードラグループ代表の八嶋昴旺輝(やしましょうき)さん(以下 しょうきさん)。

 2005年、スポーツクラブを創るために「NPO法人スポーツクラブ リオペードラ加賀」を設立し、現在は「総合複合施設でぽるたーれKAGA」をもつ「RiopedraGorup株式会社」、「障害福祉サービス事業所すくすく加賀合同会社」、学童の「まあぶるキッズスクール」、農業部門を設立し無農薬農業の栽培、ソフトクリームのセレクトショップ・無農薬野菜販売する「加賀さんまるしぇ」、インドの古代伝統のナディクレンジング専門スタジオ「Batata加賀」を展開しています。

 更には、加賀市初の地ビール「加賀エール」を開発し販売、オリジナルアパレルブランド「藩’s」の販売など、幅広く事業を展開している。

 直近では、施設の二階に身体に優しいカフェ「Batata」、金沢に加賀さんまるしぇの2号店「加賀さんまるしぇ本多の杜」をオープン。

 一見まばらに見えるリオペードラ加賀の事業の数々。しかしそこにはサッカー・スポーツを中心に「加賀のために、そして世界へ」という一本の芯があり、様々な人が関わり、しなやかに、前へ力強く進んでいる。

 

そんなリオを創り、牽引する昴旺輝さん。辿ってきた道のりを探り、何が原動力となっているのか、どんな想いで進んでいるのか、そして目指す場所や見据える未来に迫ります。

 

 ブラジルにサッカー留学をするなど、プロサッカー選手を目指していたしょうきさん。人一倍サッカー愛が強く、独自のサッカー観や育成論を持つしょうきさんが、どんな子ども時代を送り、今に影響していることは何か、探っていきます。

 

「早くブラジルに行きたい!」

 

河地:

サッカー選手を目指して子ども時代を過ごしていたと思うんですけど、自分を客観視してどんな子どもだったんですか?

 

八嶋:

始めに言っておくと、結構記憶喪失なんよ、俺。(笑)

 

河地:

え!?(笑)

 

八嶋:

覚えてないこと多い。(笑)話していくね。まず、最初は野球少年だったんよ。

 

河地:

え!?サッカーじゃなかったんや…

 

八嶋:

小4でめっちゃ強いチームに入ったんやけど、その監督がめっちゃ怒るんやって。いわゆる押し付けるチームやってんね。全然楽しくなくて、怒られるのが怖くて行きたくもない。「これは違うな」って思って辞めた。

 

河地:

違うってなって思えるんですね。そこがまず自立してる。(笑)

 

八嶋:

うん。でも外で遊ぶのは好きでいつも外にいて、たまたま帰り道のグラウンドでサッカーの練習をやってて入った。そこは力が入ってなくて、楽しくやろうって感じのお兄ちゃんコーチやって、のびのびプレーできて、ハマっていった。

ちょうどその時期はJリーグができたタイミング。キャプテン翼も人気で、サッカーNo.1であるブラジルに、純粋に”子どもの心”で憧れた。「早くブラジルに行きたい!」と思っていたね。

 

河地:

なかなか自信がないと行けないと思うんですけど。(笑)

 

八嶋:

うまいと思ってた。(笑)”勘違い”だよね。親に否定されて育ってきてない。自己肯定感は育まれていたかな。

 

河地:

自分の意思が既にありますよね。野球時代の時からもうかがえます。

 

八嶋:

面白くないのは自由もないし、判断もない。やらされてるのでは。頑固だったり、こだわりがあったんかな。

 

河地:

このDNAはリオペードラ加賀(以下リオ)の根幹になってますね。

「根本の覚悟が違った。」

 

ブラジルに行きたいという夢をかなえたしょうきさん。そこで見た景色は、しょうきさんの今をつくる原点がありました。

 

河地:

そこからブラジルに行くわけですけど、サッカーへの見方が変わったとよくおっしゃられます。具体的にどう変わったんですか?

 

八嶋:

華やかなブラジルサッカーの表面的なものしか見えてなかったのが、現地で感じたことが違った。経済的に貧しいとか、わかってはいたけど、原体験で目にしたそれとはめっちゃギャップがあった。

 

河地:

ブラジル人のサッカーへの向き合い方はどうでしたか?

 

八嶋:

日本の場合は6・3・3で何か特別な事がない限り居れる環境だよね。ブラジルの人は、「家族を養うために俺はサッカーで生きる」があって、そのために成功しなきゃという逆算。チームの編成も立ち替わりで、クビもある。そういう競争があるのにもかかわらず、くよくよしないで前向きに、楽しそうに未来へ希望をもって強く生きてる。日本の方が豊かだけど、そうじゃないよね。そこの覚悟が違った。

 

河地:

怖さがないですよね。物質的には豊かでないし、持ってるものが少ない。奪われること、欠如することに恐れがないですね。ハングリーやし、やるしかないって感じですか。

 

八嶋:

それしかない。向いてなかったらはっきり言われるし、突きつけられる。常に自分で決めてるから、それを受け入れて次に向かう。平和ボケしてない。自律心とか、自己主張が勝手に育まれてるよね。文化的にも環境的にも足りないことだらけ。日本は満ち溢れているから、甘かったなと痛感したよね。生きるためとか、、考えたことなかった。根本が違った。

河地:

僕はカンボジアに留学をしていて、サッカーへのハングリーさを感じたかというとそうではなかったかもしれませんが、でもその足りてないからこその前向きさとか、生きる力強さ、心の豊かさと幸せ、価値観の前提が違うのはすごく感じました。

 

八嶋:

そう感じる一面と、でもやっぱり普通に道端とかでも、家があるかもわからないような4.5歳の女の子の物乞いがいて、感傷的になるときも。あげても意味ないっていう話はあったけど、その時感じたのは、頑張らなくても普通に生きれるって当たり前のことじゃないんだなって思った。そのギャップに唖然とした。

豊かさとは何かって思うようになるよね。

 

河地:

サッカーから入ってそれを感じれるってすごいことですよね。

 

八嶋:

サッカーってそういう力あるから。俯瞰して見れたり、相手目線で考えれたり。とにかく自分自身の考え方ががらりと覆った感覚だった。

 

 ブラジルでのハングリーさを感じ、さあ日本でというところで、怪我と交通事故に遭いプロを断念。そこからサッカーコーチに転身し、アルビレックス新潟を経て地元加賀に戻り、24歳のときにリオを立ち上げることとなるしょうきさん。激動の20代に迫ります。

「足なくなってないから、ラッキーやと思った」

 

河地:

プロを断念することとなった時、落ち込みましたよね。

 

八嶋:

落ち込んだっちゃー落ち込んだけど、足なくなってないから、ラッキーだと思った。良かったよね。紹介で行ってみなよってコーチの仕事ができたから、すぐ切り替えられた。

 

河地:

とはいえ、サッカー選手になるためにでブラジルまで行ったんですし。

 

八嶋:

ブラジルで監督とかコーチすごいなって思ったのもあるけどね。

 

河地:

あ!これ聞きたいなって思ってたんですけど、何でサッカーにそこまでのこだわりがあったんですか?

 

八嶋:

基本的にサッカーに関わってきたからサッカーで生きていきたいなって思ってた。

サッカーしてチャレンジしてたら辛いこといっぱいあった。辛いことがあっても、普通より辛いと思わないんじゃない?切り替えと考え方が楽観的なんだと思う。

こういう施設経営とかしてると、いろんなピンチもあったけど意外としんどいと思わなかった。周りの経営者の話聞くと顔面神経痛なったり、精神的病気になったりとか。俺はそれなってないから。(笑)その辺は強い。

じゃないと、田舎でサッカーをまともに教わってないのにいけるとおもったりしないよね。(笑)”勘違い”と根拠のない自信よね。

そこから叩かれる。そこから謙虚になる。(笑)

それこそブラジル人を見てもそう思えたんだと思う。

 

加賀に戻り、アルバイトをしながら自分がいた高校サッカー部のコーチをする。そして新潟に3年間滞在。指導として、またアルビレックス新潟のサッカーでの町づくりを目にして、濃い日々を送る。

 

「新しい価値観を提示したい」

 

河地:

アルビレックス新潟にはどういう所に魅力やすごさを感じたんですか?サッカーが文化になって地域おこしになってるみたいな感じですか?

 

八嶋:

ブラジルやんって思った。何もないところから、サッカーやスタジアムが中心となって、周辺環境が整ってきて、そこに人が入ってきて、どんどん回って街ができていく感じ。ほんとゼロイチ。大企業が出資してるわけでもないから。

そんな新潟で、指導経験一年だったけど、キッズ委員会のゼロからの立ち上げ等をさせてもらえたり、育成年代を見させてもらっていた中で、例えば全国に行っても東京ヴェルディユースに10発ぶち込まれたりしたから、やっぱ下から強くせんとなって思った。

 

河地:

僕も、カンボジアのプロサッカークラブでインターンして、U18の育成年代にも携わっててそれは思いました。

結局金満チームにはどこまで行っても負けちゃう。だから、なかなか難しいけど、カンボジア人の母数を下から強くして、魅力的なサッカーをするのが本質なんちゃうかなって思ってました。

 

八嶋:

そうそう。とにかくトップが勝つっていうチームもあっていいけど、サッカーの魅力の本質を考えると、そもそも美しいものであるし、楽しいもの。勝った負けたもやけど、泥臭く点と取れっていう表現が俺は好きじゃなくて、美しいもので感動する、魅了される、それがサッカーだと俺は思うから、新しい価値観を提示したいと思ってる。

だから育成年代で特に、蹴れ!とにかく勝て!とかはどうなんかなってホント思う。

生涯スポーツとして、ピラミッドでビジョンを考えないと、いい方向に向かない。

だから加賀で、自分でやるしかないってなった。

 

次からはいよいよ加賀に戻ってリオの物語が始まります。次回へ続く。

 

(次回へ続く…)→Vol.4-2へ